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Audio Column No.19

大きいものは大きく、小さいものは小さく
 - 解像度を上げるとスケール感が小さくなる?

一般的に、オーディオもビジュアルも、解像度は高ければ高いほど良いと思われています。しかし、音と映像の解像度には性質上の違いがあり、オーディオにおいては、解像度を上げることで、映像の解像度を上げることには無い、ある問題が生じる場合があります。

その問題と言うのは、映像においては解像度を上げても、その映像の中に写された、各対象物の相対的な大きさは変わりませんが、オーディオにおいては、音の解像度を上げることによって、その音に含まれる各対象物の相対的な大きさや、遠近感が変わってしまう場合があるということです。

最初に、映像を例にして説明すると、ある映像の中に、図形A と 図形B があるとします。
そして、A の面積はB の面積の2倍あるとします。例えば、この映像の解像度が、500×500であっても、1000×1000であっても、その映像に含まれる、図形A と 図形B の大きさの比率は変化せず、その面積の比率は常に、2 : 1 を保ち、映像の解像度には関係しません。

これに対して、音の解像度は少し性質が違います。オーディオでは、解像度を上げることによって、それぞれの音の大きさの比率が変わってしまう場合があるのです。そして、この現象は、特に、私を含むフルレンジ・ファンにとっては、マルチウェイ・システムが好きな方よりも、より重要な問題だと言えます。

基本的に、スピーカーの解像度を上げることは、ソースの信号に対する、振動系の追従性(過渡特性・トランジェント特性)を高めることで達成されます。そして、この過渡特性を良くするためには、一般的に、振動系をより軽く、駆動系をより強くすることが必要とされます。つまり、振動系をより軽く、駆動系をより強くすることで、振動系がより軽々と動きやすく、または、止まりやすくなるので、信号に対する追従性が高まり、信号の微細な部分にもよく反応するようになるので、より解像度が高くなるというわけです。そして、音の解像度を高くする方法は、本質的に、この過渡特性を高める方法のみが正しいと言えます。

しかし、これとは別に、人の聴覚の特性を利用して、聴感上の解像度を上げる方法もあります。この方法は、オーディオにおいて、いわゆる「ハイ上がり」と言われるものです。この「ハイ上がり」とは、低域や中域に比べて、相対的に高域の出力が高くなるようにチューニングされた周波数特性のことですが、周波数特性を「ハイ上がり」にすることによって、それぞれの音に含まれる倍音成分が強調されるため、それぞれの音の音色の違いが認識しやすくなり、聴感的には解像度の高い音に聴こえるのです。

例えば、同じ音階のピアノの音とバイオリンの音では、それぞれの音の基音は同じですが、含まれる倍音成分に違いがあります。そして、この倍音成分の違いによって、それぞれの音色の違いも生み出されているため、倍音成分を強調することで、それぞれの音色の違いも より明瞭になるのです。試しに、スピーカーの高域をイコライザーで上げてみると判りますが、聴感的には、各楽器ごとの音色の違いがより明瞭になり、明らかに解像度が増したように感じるはずです。

実際に、解像度が高いという評価のあるフルレンジ・ドライバーは、ハイ上がりの周波数特性を持ったものが多くなっています。しかし、このようなドライバーは、解像度が高く聴こえたとしても、それは、過渡特性の良さから解像度が高く聴こえるのか、それとも、ハイ上がりの特性によって、聴感上の解像度が高く感じるのかという判断は出来ません。本来なら、フラットな周波数特性を保ったままでも、高解像度に聴こえるドライバーが、本当の意味で、過渡特性の良い解像度の高いドライバーだからです。

ハイ上がりなドライバーを採用したシステムは、一度イコライザーを使い、ハイ上がりを是正して、フラットな周波数特性で試聴してみることで、本当に過渡特性が良いのかどうかの判断が出来るかもしれません。その場合でも、やはり解像度の高い音に聴こえるなら、確かに高解像度なシステムだと言えるでしょう。

倍音成分を強調することで、解像度の高い音に感じさせるという手法は、私のようなフルレンジ・ファン、特にその中でも、バックロードホーン・ファンが比較的 陥りやすい誤りなのではないかと感じます。あえて誤りと言うのは、聴感的に高解像度に聴こえるという些細な現象のために、高い音楽性に必要な、その他の重要な要素が、犠牲にされているような気がするからです。

なぜなら、この「ハイ上がり」にすることによって解像度を高めるという方法は、過渡特性を良くすることによって解像度を上げる方法とは違い、周波数特性がフラットでなくなることにより、低域、中域、高域の、各音域間のバランスとスケール感、遠近感、を狂わせ、作品のニュアンスや音楽性を損なうという問題を生じさせるからです。

これは、ハイ上がりのチューニングにより、低域より中域が、中域より高域が、より強く出力されることによって、低音楽器の音より中楽器の音の方が、中音楽器の音より高音楽器の音の方が、より大きな楽器に感じてしまうことによります。中音楽器の倍音成分が含まれる帯域は、高音楽器の基音が含まれる帯域でもあるため、中音楽器の倍音を強調すれば、高音楽器の基音も当然 強調されてしまうからです。また、ハイ上がりにすることにより、高音楽器は実際よりも近くで、低音楽器は実際よりも遠くで、演奏しているように感じるという、遠近感の狂いも生じてしまいます。

しかし、現実には、低音楽器と中音楽器と高音楽器と聴感上 同じ音量に感じるためには、高音楽器より中音楽器の方がより大きく、中音楽器より低音楽器の方がより大きいのが、物理的に当然のことであり、聴感的にも、低音楽器ほど大きく感じるのは自然の現象なので、オーディオにおいても、その様に感じなければ、正確なスケール感の再現とは言えず、「ハイ上がり」によって、高音楽器の方が低音楽器より大きく感じさせる再生音は、現実の音のスケール感とは逆の、非現実的な再生音だと言えます。

もちろんこれは、絶対的な大きさの再現である必要はなく、低音楽器が高音楽器よりも相対的に大きく感じる再生であれば、特に問題は無いはずです。なぜなら、実際の低音楽器が音を発する面積は、スピーカーの振動板の面積に比べると桁違いに大きく、実際の低音楽器のスケール感を再現することは、現実的には困難なので、オーディオにおいては、各楽器の絶対的な大きさの再現よりも、相対的な大きさの再現を目指す方が、より現実的であり、実用的にも問題が少ないからです。

結論として、単なる私の個人的な意見ですが、オーディオにおいて、あるべき解像度の高さというものは、スケール感や距離感のバランスを損なう、「ハイ上がり」にすることによって達成されるべきものではなく、あくまでも、フラットな周波数バランスにおいて、良好な過渡特性を得ることによって、達成すべきものだと思います。

しかし、スピーカーの振動系には質量と、それによって生み出される慣性があるために、ソースの信号を完全な正確さでトレースすることは、原理的に不可能です。特に、ツイーターを使わない、完全なフルレンジ・システムでは、口径が大きくなるにしたがって振動系の重量が増すため、音の解像度に深く関わる高域における過渡特性と品質に問題が生じることが多い様です。

フラットな周波数特性での過渡特性の優秀さと言う点では、小口径のフルレンジ・ドライバーは、大口径のフルレンジ・ドライバーよりも優れています。それは、小口径フルレンジ・ドライバーは振動系が軽いので、比較的過渡特性が優れているからです。それに対して、大口径フルレンジ・ドライバーは振動系が重く、特に高域での過渡特性が悪いために、フラットな特性では、比較的 解像度が低く聴こえます。

そのために、大口径フルレンジは、ハイ上りにすることによって、聴感的には、小口径フルレンジと同等の解像度を得ているものもあるようです。しかし、ハイ上がりにしなければ、高解像度に聞こえない振動系というものは、もともと過渡特性の低い、低解像度な振動系だと言えます。なぜなら、世の中には、フラットな特性でも、高解像度なフルレンジ・ドライバーは数多く存在するからです。

そして、ハイ上がりの周波数特性では、たとえ大口径のドライバーを採用したシステムでも、低域の量が相対的に不足するため、バランスの良い豊かなスケール感を得ることが難しく、周波数特性のフラットな小型システムよりも、かえって、スケール感の乏しい、貧相でヒステリックな音になる場合もあるようです。

普通に使うと、ハイ上がりの特性になってしまうドライバーを採用する場合は、バックロードホーンなどの、振動板背面に発生するエネルギーを最大限に利用する方式でなければ、いわゆるピラミッドバランスの、大きなスケール感を再現するのは困難です。

しかし、バックロードホーンで使う場合であっても、極端にハイ上がりのドライバーであれば、聴覚の敏感な、中域に近い帯域まで、ホーンを効かせなければ、フラットな周波数特性にならないこともありますし、その様な工夫で、フラットな周波数特性を実現できたとしても、エンクロージャーにより再生される音と、振動板から直接 再生される音には、質的な違いがあるので、聴覚の敏感な中域に近い帯域まで、ホーンによって再生しなければフラットな周波数特性を実現できないほどの、ハイ上がりなフルレンジ・ドライバーを使ったシステムには、Hi-Fi システムとしてはどうなのかという、多少の疑問を感じざるをえません。

やはり、聴覚の敏感な中域は、オーソドックスに振動板によって再生し、エンクロージャーによって再生するのは、聴覚の鈍感な低域にとどめておく方が、音作りとしては無理の無い自然な手法だと感じますし、全体としてもバランスの取れた、クオリティーの高いシステムになるような気がします。

しかし、最後に付け加えると、聴覚の特性には大きな個人差があり、高域での聴覚の感度の鈍い方や、低域での感度が鋭い方の場合は、客観的には、ハイ上がりの周波数特性であっても、主観的には、フラットに聴こえる場合があるので、どのフルレンジ・ドライバーがハイ上がりに聞こえるとか、どのフルレンジ・ドライバーがフラットに聞こえるとかは、一概には言えません。

という訳で、最終的な結論としては、その人にとって、良い音に聴こえる音が、良い音であり、その人にとって良い音に聞こえるシステムが、良いシステムなのだという、当たり前の結論で、お茶を濁させていただきたいと思います。

Last Updated 2014-01-23



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